「ヒラメキ」からでた「アルビノさん達を集めてお祭りがしたい!」
このとんでもない構想から約半年・・・
2019年6月1日東京御茶ノ水にあるワテラスコモンホールにて
アルビノフェス2019を開催致しました。
何でそんな事始めたの? どうしてそんな事するの?
ほんの少しだけアルフェスSTORYにお付き合いください。

「アルビノさん達を集めてフェスがしたい!」

2018年11月8日、東京都港区の日本財団さんで行われた「東京アルビニズム会議」ここについうっかり参加してしまった私きゃさりんは、アフリカ諸国の悲惨な現状を目の当たりにします。

日本国内の当事者さんの集まりには何度か参加させていただきましたが、これまでに私個人としてはアルビノの啓蒙活動は特にしていませんでした。
何故なら私個人的にはアルビノという個性に特に困ったと感じたり、悩んだ事が無かったからです。
アルビノはただの個性であり特徴の一つとして捉えていたからです。

それでもアフリカの悲惨な現状についてテレビやインターネット等で知識はある程度入っていた私は、この日を境に「どうにか出来ることはないか?」を模索し始める事になったのです。

そして11月下旬に千葉で行われたアルビノ当事者さんの集まりで
「アルビノの良い特徴は何か?」「長けている才能とは何か?」「活かした職業や技はないか?」との話題になりました。
そこで私は「神格化されて手足を取られたり命を脅かされるなら、神様の命を奪ったら祟りがある!どうしても肖りたいなら髪の毛を御守りがわりに販売するとか、会うだけで幸せになれるとか、逆の噂を流してしまえばいい」
と発言していました。
これ、絶対怒られるやつやん・・・。(笑)

きっかけは瞑想から・・・

私はスピリチュアルと呼ばれる分野での仕事もしている関係で、瞑想は毎日の日課となっていました。12月半ば、いつものようにお風呂で瞑想していた私にはっきりと「フェスがしたい!」という内なる声が湧き上がったのです。

興奮冷めやらぬワクワクした状態で「フェスしたい!」とアルビノの友達に声をかけ、二つ返事でOKをくれたのは、たった一人でした。
初めはみんな「何でやるの?」「やる意味があるのか?」「晒されるのが嫌だ」と時には非難の声を頂く事もありました。
それはこのサイトを作っている今でもそうかも知れません。
「ほらほらあの子・・・」と指をさされ、見られる事、振り返られる事が日常茶飯事で、いじめを受けたり傷付いて来たアルビニズムには当然のリアクションでした。(多分に漏れず私もその体験は数え切れないほどです)

日本のアルビニズムの現状

アルビノはその昔、日本でもひどい迫害を受けて、命を無き者にされたり、
表に出る事を許されなかったり、そんな時代もあったのです。
日本は誰もが同じ考え、同じ文化、同じ教育が良しとされ、はみ出したり違いがある事を受け入れ難かったりもするのでしょう。
時代や場所、環境や知識、教育の足りなさによって差別や迫害は起こります。

現代の日本で割と恵まれた環境に生まれたとしても、色素を持たない私達は、
人一倍敏感で色々なものから刺激を受けやすい、HSP(highly sensitive person)でもあります。(これは私の勝手な考察です)
そして色素障害は視覚障害として現れ、アルビニズムは0.01から0.1くらいしか見えない視覚障害者でもあります。眩しさ故に視力は眼科で測る数値よりもかなり低いのです。弱視は何をするにも結構困ることは多々あります。
それに加えて最大の特徴でもある見た目の違いで、子供の頃から差別、いじめ、偏見の目に晒され「自己肯定感」が低くなったり、トラウマを抱え生きにくさを感じて、表に出る事がなかなかできない人もいます。

ですがその反面!(ではありませんが)とても魅力的な「才能」と「個性」を持ち合わせ、それを開花させ、ミュージシャンやアーティスト、モデルや俳優として活躍している人がいるのです。 
私もその一人ですが、一般企業に勤めたり、学校の先生をしたり、個人事業主として独立したり、主婦として家庭を支えたりと、社会の中で各々が上手くバランスを取りながら「アルビノ」である自分自身を、そして自分の人生を「愉しむ」大人が沢山いるのです。

とっちらかった私の思考をまとめてくれた人達

話を戻しますが、どうしてもフェスを実現したい私は、アルビノ当事者になぜやるのか?を話し一緒にやらないか?と声をかけ、一人また一人と、出演者やスタッフは集まり始めました。

12月末に第1回目プレミーティング(単なる飲み会)をして、「フェスします!」と発表、その時は皆「へぇ〜」くらいでした。
年が明けて1月19日私は不思議な体験をする事となり、そして1月21日職場の近くの氏神様でもある「神田明神」様へ伺った際に頂いたおみくじに
「海に沈みし魂を大きな網で引き上げよ」と書かれておりフェスをする意味を確信しました。(ここは私だけのファンタジーなのであまり重要ではありませんが)

1月末から本格的に出演者、スタッフ募集開始を始めるため動画を作り始めました。普段ラジオのパーソナリティーをしている私ですが、youtubeは初めて、台本や撮影機材は清水雅也くんが用意してくれました。

インスピレーションと直感で話す私は、
ファッションショーして、大阪からゴスペルシンガー呼んで、文化祭みたいに販売ブースがあって、アルビノ体験できて、鉄ヲタのプレゼンやって、ピアノ弾いて、バイオリン演奏して、物販のブース作って・・・。
沢山アイデアが湯水のように浮かびます。
それをスケジュール立ててくれたり、todoリスト化してくれたり、ロジカルに整理してくれる人達が清水君や武田君達男の人、やっぱり男性はそうゆうところ心強いなと感心しました。

2月に入り会場探しは本格化、いくつも施設を回りました。公共施設の方が安くできるしホールなど設備も立派だし、他にもライブハウスやイベント施設、片っ端から連絡をしたり実際行ってみたり・・・。
でも6月の予定は既に入っていてお目当ての場所になかなか辿り着けません。
そこで職場の目の前にあるワテラスにふらっと寄ってみたところ
広すぎず狭すぎず、光も降り注ぐ明るい会場。ここに決めよう!
やっと会場が決まったのは2月末の事でした。

3月初旬改めて集まれる人達で実際にミーティングをしたのがここ。

そこから何度かミーティングを経て男子チームがHPを作成してくれました。
そして会場と内容の輪郭が見えてきた頃、
「アルビノフェス テーマソング」が出来たのです!

大阪に住む私の姉のような存在、りこ姉ちゃんこと寺田利子さん。彼女はゴスペルクワイアに所属し、毎週のように至る所で熱き歌声を響かせています。
私は大阪に行った時はいつもクワイアの皆さんに遊んでもらい一緒に歌う機会までもらっています。

今回フェスのテーマソングがあったら嬉しいなと、りこ姉ちゃんを通しゴスペルクワイアを指導している中川誠十郎さんにお願いをしておりました。
『This is Me』みたいな感じで!とってもザックリした私のオーダーに、物凄い名曲が出来上がって来たのです。
・・・一瞬怯みました・・・。
この曲についてのお話はAnother storyとして・・・。

4月に入りチラシが出来上がってきました。はじめは紙媒体は要らないかとも考えたのですが、やはりそこは口で説明するより遥かに説得力がありました。
HPも少しずつ内容を濃くしていき、ブログやSNSなど、ネットを通しても宣伝活動は続きました。。。
異業種交流会、他にも様々な人の集まる場所へ出向きロビー活動は続きます。

多様性、表し方が違っても想いは一緒でしょ!?

今回、私はフェスというものに2つの想いと意味を込めました。
ひとつはアルビノで生まれ、無かった事にされた命や、傷つけられた魂に対しての「鎮魂」です。
アフリカだけではなく日本でも少し前までは命を脅かされる現状があった事を私は身近に知っているからです。
「人権侵害反対」「差別は解消すべき」「あの時はよくもこんなことしてくれたな」と言うメッセージをシュプレッヒコールの様に声高に発するのではなくアプローチ方法を明るくポジティブなものにしても良いのではなと思うのです。
「魂を鎮める」その為には今を生きる私達が「堂々と表に立ち、活き活きと人生を生きる。それを表現する」その事で、祈りを捧げる事と同じなのではないかと思うのです。

そしてもうひとつ、どんな容姿、環境に生まれようともその個性を大事にし、多様性を認め合い愉しんでいく、そのきっかけになれれば良いと思うのです。
私はあなたを導くことは出来ません。
アルビノだから凄いとか、アルビノだから才能がある!とか、
そう言う事ではなくそもそも誰しも「あなただから凄い」のであって「あなたには無限の可能性と才能がある」事を、たまたまアルビニズムと言う人達から発信している。そんな感じかな・・・。
そしてここで間違えちゃいけないことは「才能」とは世間一般的に認められた凄い事ではなく、自分が大好きなもので心血を注いて愉しんでいる、どんなジャンルであっても例えそれが人の役に立たなかろうとも良いのです。
「自分が本当に好きで集めてしまう知識やもの、将来こうなったらと思い描く夢」そこに向かう能力すべてが才能だと私は思っています。

アルビノって拘りが強い人が多いのです。
つまりは「こうしたい」「表現したい」人が多いと言うこと、だからその発表の場を、機会と舞台を私は創っていくだけなのです。