清水 雅也 story1

1982年8月、関東地方に台風が来ようとしているさなか、ひとりの男の子が生まれる。
体重3000グラムピッタリ。母体には若干の素行不良はあるものの、親子そろって状態は良好。
これが、わたくし清水雅也の誕生した瞬間です。おそらく、一番驚いたのは母だったでしょう。
なんせ真っ白い子供が生まれたのですから。
この記事をご覧いただく上での前提として、私の最古の記憶は、幼稚園の遊具から落ちて背中を強打し、息ができなくなった瞬間「あ、死ぬんだ」って覚悟したところからがスタートなので、乳幼児期のエピソードは伝聞になりますのでご容赦ください。

乳幼児期エピソード①
泣きミッドナイト(夜泣きするならドライブさせろ)

さほどひどくはなかったようですが、夜泣きや寝つきの悪い時があると父は自分の弟から車を借り、むずがる私を乗せ近所をぐるっと一回りドライブしたらしいです。角を3つも曲がると助手席で母に抱かれた私は「Zzzz・・・」寝かしつけにドライブを要求するなかなか贅沢なベビーだったようです。
この後に出てくるエピソードですが、私の車好きはこの頃から始まっていたようです。

乳幼児期エピソード②
リアル「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」

ハイハイ、つかまり立ち、伝い歩きは0歳の頃にはマスターしてたらしい私、そのうち乳歯も生えてきて、だんだん「からだでできること」が増え、色々と楽しくなってきた様子。ふと、台所にある野菜置き場にたどりつくと、おもむろに泥付きにんじんをそのままボリボリボリボリ・・・。母は庭で洗濯かなにかをしていたらしく、一瞬の隙にニンジンをかじりだす私をみてびっくり。以来「お前のニンジン好きはオムツが取れるより前に始まった」とされています。
幼児特有のムチムチボディでニンジンをむしゃむしゃ、それはまさしく「白兎」のそれとあまりかわらない絵面であったことでしょう。

乳幼児期エピソード③
歩みは早いがチチから離れず

ニンジンエピソードの前、私はチチ(乳)離れが遅かったようです。産後から時間が経過し、分泌しなくなった母の乳を「まだ出るのでは?」と期待し吸おうとしていたようで、これにはさすがに「乳離れさせなければ」と焦ったら父母は、なんと、「カラシを塗る」という「さるかに合戦」も真っ青な作戦にでる。今考えれば虐待に近かったのかもしれないが、今ほど育児書なんてなかった時代の話。苦肉の策で実行するも、ひるまず口にする私。食いしん坊なのか、甘えん坊だったのかはいまだにわかりません。

乳幼児期エピソード④
アイドル?おもちゃ?モテモテナイト

先のエピソードから、「この子の両親、大丈夫かしら?」と不安になられた方もいらっしゃると思いますが、大丈夫です。ネグレクトや虐待などは一切なく、きちんと愛情をもって育ててくれた温かい両親です。と、前置きしたうえでのエピソードをひとつ。私の家ではずっと「夜の外食は飲み屋」が家訓としてあります。つまり、居酒屋が大半なのですが、時々「スナック」に行くこともありました。この辺はうっすら記憶があるのですが、薄暗いお店の中にお酒の瓶やコップ(グラスです子供目線です)があり、女の人がたくさんいるところに夜出かけていったという思い出。これは父母と私、3人家族総出での出来事。とかく、飲み歩くことが大好きだった両親、ニンジンを生でボリボリやってしまうモンスターを家において行くわけにもいかず連れて行くのですが・・・。
白くて、丸っこっくてよちよちしてりゃ、そりゃあホステスのお姉さま方、ほかのお客様からはちやほやされる訳で。。。気づけばしらないおじさまたちのボックス席で、ブルーハワイとフルーツ盛りをごちそうになる始末。確か、お姉さんの膝の上に鎮座していたような気もしないでもない。
一方の両親は、母は母で知人とぺちゃくちゃ、父はカウンターの隅でちびちび手酌酒。数平方メートルのスペースで3者3様の一夜となったのでした。

この子が、スナックでモテモテボーイだったのです。

乳幼児エピソード⑤
グラサン幼稚園児誕生

スナックで夜を騒がす今では考えられない不良乳幼児にも、「幼稚園入園」というライフイベントが訪れます。この頃(4歳)になると眼科での視力検査が可能になり、メガネをかけるという習慣が増えます。ただ、このメガネがなかなかの曲者。アルビノの特徴である視力の弱さを補うためレンズの厚さが牛乳瓶の底クラス。しかも、遮光のため色付き。メガネの構造上、レンズが厚くなるとフレームも太いものになってきます。人生初メガネ、どんなものか楽しみにしていたら。。。おっさんメガネが手元にきた。ゴルフ場か釣り場にはこんなのかけているおじさまが一人や二人はいるよね~。なフォルム。スナックでモテモテキッズだった私には似合わないことこの上ない・・・。でも、かけてみるといままで外に出たときにちゃんと見えなかったのが見えるようになる。
ものがはっきり見える感覚を覚えます。一般的な「裸眼0.1→メガネ使用0.8」みたいな超改善ではないのですが、ものの輪郭がはっきりするのと、色付きになったことで一歩外に出ると「すべてが真っ白で目が痛い」がなくなったこと。すごく世界が開けたように感じ、園庭で友達と遊ぶこともおもいっきりできるようになりました。
(おもいっきりがよすぎて背中から落ちた訳でですが)
下の写真をご覧いただきたいのですが、こんなグラサンに髪は金髪に近い白な幼稚園児、そんな今風でいうと「パリピ」な園児を迎えにくる父は、大仏パンチパーマに金縁メガネの浅黒ダディ、それはそれは園中の注目の的ですね!実はこの頃から、母は私の知らないところで保護者の役員をかって出ていたようです。他の保護者さんや、園の先生方とのコミュニケーションを図り、私の園生活で不利益、ひいては「いじめ」などに逢わないよう動いてくれていたようです。
このころからだいぶ後になって、母と一緒に飲んでいるときにぽろっと話してくれたエピソードの一つです。

いかがでしたでしょうか?
今回、このサイトのトップバッターということで、実行委員会の清水が「こんな感じだよ〜」という形でヒストリーを掲載させていただきました。
ここから先は伝聞ではなく、当時の記憶を掘り起こしながら、思い出せる限りで思った事、感じた事、感情の機微などをおrこんでまいります。

隙間時間や、現在アルビノのお子さんを育児中の保護者の方の参考になれば、また、アルビノ当事者さんで「生きていく」事に悩みが生じた時に
少しでも参考になればとの思いで書きすすめて参ります。
時々茶化すかもしれませんが、そこも含めて愉しんでいただければと思います。
では、次回のヒストリーでまたお会いしましょう。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
アルビノフェス実行委員会 清水 雅也

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